当事者研究とは-当事者研究の理念と構成- (向谷地生良)

~ 当事者研究とは -当事者研究の理念と構成- ~
向谷地生良(北海道医療大学、浦河べてるの家)

●当事者研究の可能性

当事者研究がはじまってから、早いもので20年になります。よく知られたエピソードですが、当事者研究は、爆発が止まらず困っていた一人の統合失調症をかかえる若者と、当時、病院のソーシャルワーカーをしていた私がホトホト困り果てて「どうしたらいいかわからないから一緒に研究しよう」と語り合う場面からはじまりました。そのように、当事者研究が、従来の“心理教育プログラム”と異なるのは、その出発点に、「ともに弱くなる」というプロセスを含んでいることです。

例えば認知行動療法の一つであるSST(生活技能訓練)も、研究者の手による科学的な検証を経て、効果的であるというお墨付き(エビデンス)を裏付けに、有効な心理教育プログラムとして普及をしてきました。その点から言うと、「当事者研究の効果」やその有効性についての検証や研究は、まだまだはじまったばかりですが、大切なのは1980年代後半に、統合失調症などを経験した当事者の手記などの分析などから確立された「リカバリー」の概念が広まる際に当事者から発信された「私がエビデンス(証拠)なのです」(「精神保健に関する合衆国大統領の新自由委員会」(US President’s New Freedom Commission on Mental Health)(USDepartment of Health and Human Services, 2003 参照ダニエル・フィッシャー「リカバリーをうながす」)というメッセージです。当事者研究も、2001年にはじまって以来、発表された当事者研究の研究成果は、およそ600事例を数え、そこから新しい「実践知」が、発信されてきました。それは、従来から言われてきた科学的根拠をベースに培われてきた専門家の知を覆す内容のものも少なくありません。

最近の当事者研究をめぐる動向で注目されるのは、当事者研究分野へのさまざまな領域の研究者、臨床家の関心の高まりと参入です。2015年に、東京大学の先端科学技術研究センターに、当事者研究の講座(代表熊谷晋一郎准教授)が立ち上がり、研究所ができました。これは、当事者研究が、一つの学問領域として扱われるようになったことを意味します。その変化は、べてるのメンバーが、東京大学の門をくぐることが劇的に増えたこともそうですが、従来、信念対立によって水と油のように交じり合うことの難しかった領域の研究者や臨床家、そして当事者や市民が、当事者研究を媒体として出会い、いままでに見たことのなかった世界が現出していることです。その一つに、統合失調症治療にかかわる研究者、臨床家と当事者、家族、市民が協力し合いながら創る「リカバリー」をキーワードとした「統合失調症の治療ガイドライン」があります。そこでは研究者や専門家、当事者の「知」を対立的に捉えるのではなく、それをともに活かし、創り出していく「協同創造-Co-production 」に向けた模索があります。「こころの元気+」(コンボ)に全国各地のメンバーから寄せられた研究成果も、その取り組みに貢献しています。さらには、当事者研究の国際化が一段と進みました。特に、韓国では「べてるの家の“非”援助論」(医学書院2001)や「レッツ当事者研究」が翻訳されて、当事者研究が知られるようになり、毎月のようにべてるには、見学者が絶えません。

北海道、関東、中部、関西地域などでは「当事者研究ネットワーク」が立ち上がり、九州でも、有志によってネットワークづくりの準備がはじまっています。今後は、さらに東北、北陸、中国、四国地域で当事者研究を続けている仲間がつながりあい、全国各地に「当事者の知」を創造するネットワークが広がっていくような気がします。最近、一人の研究仲間に、「当事者研究がめざすものは何ですか」と問われました。そこで、考えたことは、「仲間づくり」でした。それは、精神病理学者であり、精神科医である木村敏が「治療が目指しているのは、第一義的に治癒や完全寛解ではない・・・患者が、日常生活のなかで私たち『生活者』の『仲間』になってくれること・・」(「こころの病理を考える」岩波新書)につながります。その意味でも当事者研究は、地域に暮らす人をかけがえのない大切な「人材」として、可能性を見出し、ともに活かしあう対話を通じた「人づくり」であり、「地域づくり」の活動の一つであるということもできます。

 

●当事者研究とは何か

当事者研究は、統合失調症や依存症などの精神障害を持ちながら暮らす中で見出した生きづらさや体験(いわゆる“問題”や苦労、成功体験)を持ち寄り、それを研究テーマとして再構成し、背景にある事がらや経験、意味等を見極め、自分らしいユニークな発想で、仲間や関係者と一緒になってその人に合った“自分の助け方”や理解を見出していこうとする研究活動としてはじまりました。その当事者研究との出会いを熊谷晋一郎さんと綾屋紗月さんは「人に理解されない病気の苦労を長年抱えてきた仲間。専門家による描写や言説をいったん脇に置き、他者にわかるように自分の体験を内側から語る作業を続けている仲間」(つながりの作法 NHK出版生活人白書2010)と表現しています。

その当事者研究の源流を紹介したのが、図です。まず、べてるには、独特の「苦労の哲学・ユーモア・反転/“非”援助の思想」があります。「苦労の哲学」とは、「人間と苦悩」は切り離すことができないものであり、そもそも人間は、誰でも“あたり前”(プレディカメント-無くてはならない苦悩)に、「生きる苦悩」を与えられているホモパティエンス(苦悩する人間-フランクル)であり、人間は、その苦悩によって成長できる、という考え方をいいます。それを当事者研究的言うと「自分の苦労を取り戻す」につながります。

べてるのユーモアと“反転”“非常識”の源泉も、そこにあります。それが、「いい苦労をしてるね」「もう少し、苦労を増やした方がいい」「行き詰り方が上手」などと、辛い苦労でも、べてる流の「苦労の文化」の“衣で揚げる”と、独特のユーモアとセンスに富んだフレーズに変わります。このユーモアセンスは、依存症の自助グループ、AA(匿名の依存症者の会)との出会いの中から学んだものでもあります。私は、はじめてAAのミーティングに出た時に、断酒会のメンバーが自分の体験を人情噺のように涙ながらに語るのに対して、AAのメンバーが、まるで絶妙な自虐ネタを含めた漫談のように語る様子に衝撃を受けたことを思い出します。そして、この“ノリ”が、苦労の哲学と交じり合うようにして、独特のユーモア文化が育まれたような気がします。そして、この依存症の人たちの回復のキーワードである「仲間の力」「語る力」が、大切な遺伝子として当事者研究に結実していきます。

直接的に、「研究」という発想を得たのは、1990年代に地域の商店街や事業所の人たちがつくる異業種間交流グループに入会したことです。私たちはその会を通じて、社員、一人一人が研究テーマをもって仕事をして、それを発表しあう「一人一研究」という人材育成の方法を知り、いつかはそれを自分たちも導入したいと思って温めていました。その影響も欠かすことができません。そして、もう一つは、1991年に前田ケイ先生(ルーテル学院大学名誉教授)と出会い認知行動療法の一つであるSST(生活技能訓練)を学んだことです。SSTは、「生活技能訓練」と訳されていて、その語感からいろいろと誤解もありますが、私たちはSSTに着目したのは次の4点です。

①当事者主体-当事者自身が、自らの苦労を仲間に打ち明けて、一緒に練習方法を考える
②試行錯誤を重視-練習したことを生活の中で、試し、その効果、結果をもとに次の手立てを考える
③仲間の経験と力を活用-SSTという場で、仲間と一緒に練習のプランを立てて、共有し、相談しながらすすめる
④失敗重視-生活の場で、自らコツコツと練習を重ねるうちに“失敗体験-それで順調”-の大切さがわかってくる

私たちは、このように従来の専門家重視の精神医療の世界にあらたな当事者主体のモデルを生み出す契機としてSSTの持つ“素性の良さ”に惚れ込んだのです。何よりも感銘を受けたのが、SSTはエンパワメント・アプローチと言われるように、統合失調症を持つ人自身が自分のかかえる“生きづらさ”を見極め、適切な対処方法を仲間の力を借りながら見いだし、それを実現するという一連のプロセスの基盤となっている当事者の持つ力への信頼でした。そして、私たちをもっとも勇気づけたのが、従来の「肯定も否定もしない」という専門家の立場から、あまり重視されることのなかった幻覚や妄想体験に対して、前向きな関心を寄せることでした。浦河名物となっているその年の一番感動的で多くの人を勇気づけた幻覚妄想体験をしたメンバーを表彰する「幻覚&妄想大会」が生まれたのも、そのような背景があったからかもしれません。従来は、科学的な根拠に基づいた治療やリハビリテーションと当事者のかかえる幻覚や妄想の世界は、まるで水と油のように、対立的に捉えられることが多かったように思いますが、リカバリーの考え方にもあるように、当事者の主観的な世界を尊重することと、根拠に基づく治療やリハビリテーションは、共存できるという理解が定着してきました。

 

●当事者研究の理念とすすめ方

<生きづらさへの着目>
当事者研究をはじめるにあたって大切になってくるのが当事者の持つ“生きづらさ”の理解です。当事者研究を重ねることで、私たちは、次のようなことを学んできました。

①再発も含めて、パターン化され、繰り返しおきる“問題”には一貫した“前向きな意味”があること。
再発予防や問題の解決は何よりも重要ですが、実は“問題”とは、常に何かを解消するために起きているものです。つまり、そこには大切な意味が隠されています。当事者研究では、解決以前に、その意味を見極めます。

②爆発や不適切な行為や言動の背後には辛い状況から抜け出そうとする当事者なりの“もがき”があること
「爆発や不適切な行為」も、もう一つの自分の助け方であり、生き延びるための“もがき”なのです。

③その“もがき”の底流には、自己表現と“つながり”への渇望があること
“もがき”の背景には、失ったものを取り戻そうとし、孤立から抜け出そうとするその人なりの努力があります。

④当事者が言い現わすニーズと当事者自身の本当のニーズの間には往々にして乖離があること。そして、本人もそれに気づいていない場合が多いこと。

⑤当事者は、五感で感じる現実と、周囲の人が共有している現実とのギャップ(誤作動)に苦しんでいること
統合失調症を持つ人は、五感のギャップと誤作動に振り回されることが多くなります。

⑥当事者の多くは、将来に対する希望と生きがいを見失い、かつそれを探し求めていること
若くして発症し、人と違った道を歩まざるを得なくなった当事者の多くは、人生の目的と生きる意味という深く重いテーマと向き合いながら暮らしています。
以上の理解と次に紹介する理念を前提に当事者研究は進められています。

 

●当事者研究の理念

当事者研究には、この活動を続ける中で培ってきた大切にしてきた理念があるので以下に紹介します。

① 「弱さ情報公開」
当事者研究では、お互いの「弱さ」や「苦労」を持ち寄ることによって、人がつながり、その場に信頼と助け合いが生まれ、新たな知恵が創出されることを大切にしてきました。ですから、「弱さ」とは、大切な生活情報のひとつであり、みんなで分かち合うべき共有財産なのです。

② 「自分自身でともに」
当事者研究は、他者の評価を気にしたり、人に心配され、管理される暮らしではなく、かかえる苦労を大切なものと考え、「自分の苦労の主人公」になろうとするところから生まれたものです。
当事者研究は、一人で行うのではなく、仲間とともにテーマを共有し、対話を通じた試行錯誤を重ねながら自分らしい生き方、暮らし方をともに模索するところに特徴があり、「自分自身で、ともに」は、もっとも基本となる理念です。

③ 「経験は宝」
当事者研究では、どのような失敗や行き詰まりの体験でも、そこには未来につながる大切な資源(宝)と、今の苦労や困難を解消する知恵とアイディアの素材が眠っていると考えます。
どんな体験でも、仲間と語り合い、分かち合い、ともに研究することで有用な経験となります。

④ 「“治す”よりも“活かす”」
隠し事をしたり、必要以上に頑張りすぎると体調が悪くなる人がいます。そんな時は、正直さと自分のペースを取り戻すことで回復することができます。そのように、当事者研究は、研究を通じて“苦労(病気)に学び、活かす”ことを大切にしてきました。それは、苦労(病気)の中には、私たちを回復に向かわせようとする大切なメッセージがあり、「苦労(病気)も回復を求めている」からです。

⑤ 「“笑い”の力 - ユーモアの大切さ」
当事者研究という場には、不思議と笑いとユーモアが溢れています。「ユーモアとは、にもかかわらず笑うこと」と言われるように、ユーモアには、苦しい現実から距離をとり、苦労に打ちひしがれないために人間に供えられた力であり、究極の“生きる勇気”だとも言われています。

⑥ 「いつでも、どこでも、いつまでも」
当事者研究は、時間や場所を選ばずに、“いつでも、どこでも、いつまでも”自分なりのやり方で自由自在に行うことができます。困ったとき、行きづまりを感じたときばかりではなく、上手くいった時でも、ちょっと立ち止まってひと言「研究してみよう!」と考える姿勢が研究を続ける大事なコツです。

⑦ 「自分の苦労をみんなの苦労に」
当事者研究では、「自分の苦労をみんなの苦労に」「みんなの苦労を自分の苦労に」を合言葉にしています。「自分だけだ」と思っていた苦労が、仲間と同じ苦労だと知った時、私たちは安心をします。また、みんながかかえている苦労を、ともに担うとき、そこに絆が生まれ、自分の苦労が人の役に立つ喜びを感じることができます。そのように、苦労は分かち合うことによって、新しい可能性を生むのです。

⑧ 「前向きな無力さ」
当事者研究では、目の前の苦労に対しては、誰もが無力であり、先入観や常識にとらわれずに、互いに知恵や情報を出し合いながら、「新しい自分の助け方や理解」を生み出すことを大切にしています。そのように、お互いの「前向きな無力さ」が研究活動を促進させ、新たな発見を生み出す原動力になります。

⑨ 「“見つめる”から“眺める”へ」
当事者研究では、自分を見つめるのではなく、研究の素材である自らの体験を、別なものに置き換えたり、苦労のデータを目の前のテーブルに広げるように出し合い、それを眺め、わいわいと対話をかさね合いながら、苦労の起き方のパターンやその意味を自由自在に考えます。その作業を通じて、「とらわれていること」が「興味のあること」に、「悩み」が「課題」に、「孤立」が「連帯」へと変わっていきます。

⑩ 「言葉を変える、振る舞いを変える」
当事者研究の場は、「言葉のジャズ」と言われるように、研究活動を通じて、自由自在に、言葉が行き交い、交わり、出会う中で、“新しい言葉と自分の助け方(振る舞い)”が生まれます。“自分を語る言葉”と“振る舞い”が変わることで、過去の体験や目の前の苦労が、意味のある大切な経験へと変わります。

⑪ 「研究は頭でしない、身体でする」
「研究をする」というと、「頭を使う作業」という印象があります。しかし、当事者研究が大切にしてきたのは、「頭」以上に「足」を使って行動し、時には「身体」を使って表現して、さまざまな経験(実験)を重ねながら、人と出会い、場に立つことです。ストレッチをしたり、表情や姿勢を変えるだけでも物の見え方や感じ方が変わります。

⑫ 「自分を助ける、仲間を助ける」
当事者研究では、リストカット、爆発などの苦労や、辛いと感じる症状も、何らかの圧迫や苦しさから自分を解放しようとする「自分の助け方」のひとつと考えます。しかし、そのような助け方の効果は一時的で、人間関係がこわれたり、自分自身が深く傷ついたりして後悔するという“副作用”があります。そこで、当事者研究では、対話を重ねながら、誰もが安心できる、より有効な「新しい自分の助け方」を仲間の力を借りていっしょに探ります。そして、そこから生まれたアイデアが、同じ困難をかかえる仲間を助けるという「苦労の循環」がはじまります。

⑬ 「初心対等」
当事者研究には、ベテランや初心者の分けへだてはありません。当事者研究は、いままでの研究を活かしながらも、いつも初心に立ち返り、仲間の大切な経験や発想に学びながら進みます。そのように、一人ひとりのかかえる研究テーマの前では、誰でも対等であり「自分の苦労の専門家」として尊重されます。

⑭ 「主観・反転・“非”常識」
当事者研究では、その人自身が見て、聴いて、感じている世界を尊重し、ありのままに理解することを大切にしています。
そのためには、その人自身が生きる世界に降り立ち、わかちあい、苦労に寄りそいながら、新しい生き方のアイデアを一緒に模索することが大切になってきます。また、常識を反転(例:悩み方がうまい、いい苦労をしているね・・)させることで、苦労が実は大切な意味や新しい可能性を持っていることが見えてきます。

⑮ 「“人”と“こと(問題)”をわける」
当事者研究では、「人と“こと-(問題)”」を分けて考えることを大切にしています。そのことによって、問題をかかえた人も、「問題な○○さん」から「問題をかかえて苦労している○○さん」に変わります。「人と“こと-(問題)”」を分けて考えることで、研究がより促進され、人の評価から自由になることが可能となります。それは、人間の存在価値は、失敗や成功、問題の大小によっては損なわれないと信じるからです。

 

●当事者研究のスタイル
当事者研究の研究スタイルと研究テーマは、次のようなものがあります。

①生きづらさのメカニズムやパターン、問題の背後にある意味を見極め、今までの“自分の助け方”を評価し、それに変わる新しいユニークな“自分の助け方”を仲間と一緒に考案する研究スタイルで、認知行動療法やべてるにおける長年の実践経験の蓄積に基づいたもっともポピュラーな研究スタイルです。例)「幻聴さんとの付き合い方の研究」

②恋愛、就労、家族関係などの身近な生活経験を研究テーマとして、暮らしやすさを実現するための新たな工夫や具体的な手立てや考えます。例)「お客さまへの接客の研究」「もて方の研究-もて方の傾向と対策」など

③統合失調症などの主観的な体験を観察、整理をしながら、従来の専門家の見解や一般的な通説を乗り越えたその人なりの解釈や考察を加え、有用な経験として新たな意味や可能性をさぐるアプローチ。
例)「サトラレの研究-サトラレはサトラセだった」

④その他、「研究する」という立場から、その人なりの自由な手立てと発想で自らの経験や暮らしのテーマを追求する。
例)幻聴夫婦の喧嘩の仲裁の仕方

いままでの当事者研究を整理すると、以上のような研究スタイルに集約することができます。

●当事者研究の要素

当事者研究にはマニュアルはありません。当事者研究の特徴は、何よりも当事者自身が仲間や関係者、家族と連携しながら、常識にとらわれずに「研究する」という視点に立ってワイワイ・ガヤガヤと“自分の助け方”をめぐって意見を出し合い、時には、図(絵)や、アクションを用いて幻聴などへの対処の仕方や薬の飲み忘れなどの苦労がおきるパターンやしくみ、苦労や困難の背後にある意味や可能性を見出す過程を楽しみながら展開するところにあります。

当事者研究で大切なのは、マニュアル的に展開-決められた順序にしたがってすすめる-するのではなく、場の雰囲気、出された研究テーマ(場合によっては、悩みや問題として持ち出される)、参加者の構成などを考慮しながら、常に“何が大切か”を見極めながらすすめることです。そこが、当事者研究の醍醐味であり、“難しさ”でもあります。

しかし、まずは当事者研究の理念を理解し、次に紹介する“要素”を参考に挑戦してみることです。当事者自身が仲間と共に、前向きにかつ自律的に試行錯誤を重ねる中で、即興的(偶然性)に生まれるユニークな理解やアイデアこそが“自分の助け方”の重要な発見につながります。そして、そこで見出された理解や手立てを現実の生活の中に活かし、仲間と分かち合うことによって、研究に取り組んだ当事者の経験の社会的共有が促進されるのです。

そこで注意しなければいけないのが、当事者研究が単に「何が問題を明らかにして、みんなで解決策を見出す」と言う直線的な発想に陥らないことです。捉え方や見方を変えることによって、「問題」と思われていたことが重要な意味を持っていることに気づくこともあります。人によっては「病気に助けられていることがわかった」と言う発見も出てきます。当事者研究は、そのような可能性も視野に入れながら展開されていきます。

その意味で、当事者研究は単なる「問題解決」の方法ではなく、「問題」と思われている出来事に向き合う「態度」「とらえ方」「立ち位置」の変更を通じて、問題が解決されないままでも、「解消される可能性」も視野に入れます。

以上の視点に基づいて、具体的に当事者研究の展開の要素を紹介すると次のようになります。次の要素は当事者研究の進め方の順序ではありませんが、浦河では、グループで当事者研究をはじめる前に、はじめての参加者への配慮と、自分達が当事者研究の大切な理念を忘れないように「当事者研究の紹介」と、「当事者研究の理念」を読みあげてからはじめるようにしています。

<日常生活上の出来事、困りごとを素材にします>

ポイントは、繰り返して起きている出来事、苦労に着目します。ここで、大切なのは、「病気とうまく付き合えるようになりたい」という思いの共有です。研究の素材は、私たちの身近な生活経験の中に、それこそ無尽蔵にあり、自分自身で背負いきれないと思ってきた苦労や生きづらさでも、「研究」という担い方を志した時、それは興味や関心となって、不思議と持ちやすいものになります。

<“人”と“こと(問題)”の切り離し作業をします>

疾病管理、生活の自己管理が上手くいかなくなると、心身の状態ばかりではなく、日常生活にも大きな影響を与え、再入院や周囲とのトラブルに発展することもあります。そのように、当事者の周辺に様々なトラブルが起きてくると、 私たちの中では、いつのまにか「人」と「こと(問題)」が一緒くたになって、その人自身を問題扱い(内在化)するばかりではなく、困難をかかえている本人も、ついつい自分を「ダメな人間」だと問題視する思考に陥りがちです。しかし、当事者研究では、「人」と「こと-できごと」を分けて考える工夫をします。そうすることで、どんな問題や困難が起きても、その人が問題ではなく「問題が問題なのだ」という事と、本当に「問題が問題なのか」についても冷静に考えることが可能になります。このことによって「爆発を繰り返す○○さん」から「爆発を止めたいと思っても止まらない苦労を抱えている○○さん」という理解に変わります。

<自己病名を考えます>

自己病名とは、医学的な病名ではなく、自らの抱える症状や苦労に対して、自分がもっともイメージしやすい言葉や比喩を用いて名づけた病名です。「自己病名」は、外在化の作業と言うこともでき、「自分の苦労の主人公になる」ための重要なプロセスです。

<出来事、苦労のおきるパターン、しくみ、つながり、関連、意味を考えます>

症状や苦労の起こり方(起こし方)には多くの場合、反復の構造があります。それを、ワイワイ、ガヤガヤと仲間と楽しく語り合いながら時には、図に描き、イラスト、ロールプレイ等で視覚化しながら明らかにしていきます。そのことを通じて、起きている“問題”の可能性、意味、目的を共有します。ここで、重要なのは、問題と思われている行為や出来事にも、必ず“意味”があり、一つの“自分の助け方”の側面があるということです。

<新しい自分の助け方、守り方の具体的な方法を考え、必要によって場面をつくって練習します>

大声をあげる、壁をたたくなどの行為も、不適切ではあるが、その場の困難を乗り切るための“自分の助け方”の一つのレパートリーであり、それが効果的ではないと確認された場合、“新しい自分の助け方”を一緒に考えます。必要に応じてロールプレイなども活用して練習をします。周りは、本人が「自分を助ける」というプロセスを側面的に応援する役割をします。

<日常生活上で「実験」して効果を確かめます>

当事者研究の成果は、実際の生活場面で実際に試してみることで有効性を確認したり、改善点を見出すことができます。それを、当事者研究では「実験」と呼んでいます。その結果を検証して、「良かったところ」と、「さらに良くする点」を研究仲間と共有し、次の研究と実践につなげます。「失敗」も大切な成果としてみんなで共有して継続研究をします。ここで大切なのは、挑戦-研究しつづけることです。

<研究成果の公開と共有をします>

当事者研究では、研究を通じてもたらされた成果は、同様のテーマをかかえながら暮らす仲間に情報として提供され、活用されることを大切にしています。そのために、研究成果を発表し、ユニークなアイデアを当事者研究の成果として登録して公開しています。