「ろうそく生活からの脱出」の研究

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「ろうそく生活からの脱出」の研究

崎広耕司

はじめに
私は昨年の春頃まで、浦河で姉と2人で電気も水道もガスも通らない家で、5年以上ひきこもりの生活をおくっていました。

現在は、さまざまな人とのつながりから、何とか“ろうそく生活”から人並みの人間らしい生活を取り戻すことができ、これからの自分の新しい目標に向かって歩き出しています。

今回は、その頃の生活をふり返り、当時まわりから受けてきた応援についてと、現在の安心のある生活に至る経緯などを当事者研究的にまとめてみました。そして、そこから見えてきた、これからの生活の中で自分が大事にしていきたいことなどを報告したいと思います。

 

○苦労のプロフィール

私は、浦河町の出身で2歳上の姉と2人暮らしです。

小・中学校時代からいじめを受けていた経験があり、人間関係はあまり得意ではありませんでした。

その頃の同級生と離れたい気持ちから隣町の高校を受験し、卒業後は地元の会社に就職しましたが、長く勤めることができずに退職。その後は、製材会社やコンビニなどいろいろな職種の仕事に就いて働きました。

数年前に両親が相次いで他界した後は、姉と2人暮らしになりましたが、その頃から収入が足りなくなり、次第に毎日の生活が苦しくなっていきました。

最後の仕事を辞めた後から新しい仕事に就けず、ハローワークに通ってもなかなか仕事が見つからなくて、そんなことをくり返すうちに仕事を探すこともやめてしまい、気がついた頃には姉と2人でひきこもりの生活になっていました。

その頃からまわりとの人間関係は一切なくなっており、外に出るのも最低限の買い物に行くことぐらいで、家の中も次第にゴミだらけになっていきました。

そういう中で、私たちをあまり見かけなくなったと、近所の人が心配して訪ねてきてくれ、いろいろと相談に乗ってくれて、生活保護を受け始めました。

当時、担当のケースワーカーからは、とにかく仕事を見つけるようにと指導を受けていましたが、その頃の私はせっかく受給した生活保護費を計画的に使うことができず、月の途中で“金欠状態”におちいり、運転免許の更新ができずに失効してしまったこともあり、結局その後も仕事は見つかりませんでした。

家は持ち家でしたが、老朽化と寒さで水道管も破裂して使えない状態になり、ミネラルウォーターに頼り、しまいには電気・ガスも止められて、ついにはライフラインはすべて失われてしました。

家の地代の支払いが滞り大家さんとトラブルになりましたが、誰にも相談できず「いつ家を追い出されるのだろう」と不安な毎日をおくっていました。

そんなとき、交代になった新人のケースワーカーさんが自分たちを見かねて相談支援事業所「ういず」に連絡をとってくれて、浦河赤十字病院の医療相談室を紹介され、ソーシャルワーカーと面談をして精神科を受診することになりました。

そのとき、担当医に「今までよくやってきたね」と、ろうそく生活をねぎらうような言葉をかけられ、とても驚きました。

後日べてるの家にも見学に行き、生活や就労の相談などをして、金銭管理も苦手だったため、権利擁護サービスも利用することになりました。

現在は、姉も一緒に日中ベてるに通い、就労をめざして私は町内の宿泊施設への施設外実習をしています。

○研究の目的

ろうそくだけでの生活をおくっていた頃、初めは「どうしよう、早く仕事を見つけなきゃ」「とにかく食べなきゃ」などいろいろと考えていたのですが、次第に自分でもその生活自体に何の違和感も覚えなくなっていました。

その頃をふり返りながら、今と何が違うか整理することで、今後のためにも自分の苦労や毎日の生活の中で大事にするポイントなどを知りたいと思いました。

○研究の方法

基本的には、自分のことを話したり、仲間の話を聴いたりすることが私の研究方法です。

最初は緊張し、以前の生活のことを話すのは恥ずかしいと思って、みんなの前で自分の悩みを堂々と話している他のメンバーを見て、「よくあんなことが話せるな」と抵抗がありました。

しかし、だんだんと慣れてくると、自分もSSTで練習したり、みんなにアドバイスをするようになっていました。そして気がつくと、自分の苦労も話すようになっていました。

「みんなに自分のことを話せたから、すんなり仲間の中に入っていけたのかな」と思っています。

○研究の内容

①今までの苦労のパターン

今回のひきこもり状態のパターンを整理すると、まず、子どもの頃からのいじめ体験もあり、人づきあいの自信のなさがあります。それが仕事上でも、いやなことがあると、すぐ辞めるというパターンにつながります。

しかし、若いうちはいいのですが、年齢がいくにしたがって仕事が見つからなくなります。

次が、つながりの喪失です。

相次いで両親を失ったことで後ろ盾を失い、気力もなくなり、だんだんと諦めの気分になってしまいます。それから脱却するために、気分転換を兼ねてパチンコに行くと、さらなる悪循環にはまります。

そして、人間関係がおっくうになって孤立が深まります。

自分でも、この状態がおかしいという感覚自体がなくなるので不思議です。

今回の研究テーマは「生活の改善」ですが、ひきこもり生活をしていたときは、誰と会うことも話をすることもなく、それ自体が普通になっていました。

担当医には「精神のほうは問題ないだろう」と言われましたが、そのときのことをふり返ってみると、自分でも「あのような状態の中で生活できていたこと自体、やっぱりちょっとおかしかったんじゃないか」と思います。

べてるに入って1か月くらい経った頃、仕事中にちょっとしたトラブルがあり、そのことで「ベてるを利用するのをこれからどうしていこうか」と考えたことがありました。

メンバーやスタッフと話をするのもいやになってしまい、自分でも「またひきこもりになるのかな」と考えたりしました。

そんなとき、ミスターべてるの早坂潔さんが話しかけてきて、「(権利擁護サービスで)貧乏脱出できたなー、がんばれよ!」と声をかけてくれたことを思い出しました。

普段はあいさつもあまりしていなかったのに、そのとき初めてかけてくれた言葉がとてもうれしくて「ここに来て本当によかった、このままやめてしまったら…」と思い、相談して、べてるに通うことができるようになりました。

このできごとがなかったら、自分はベてるを去っていたかもしれないと、今になって思います。

②大切なのは“つながり”

ふり返ってみると「自分はたくさんの人とのつながりに恵まれてここまで来たな」と感じます。

ろうそく生活から病院の医療相談室につながり、そこからベてるにつながり、権利擁護の担当スタッフにもとてもお世話になっています。

ベてるのメンバーには以前の職場で一緒だった人や知り合いのメンバーも多く、それもあって、わりと早く場に慣れることができました。また、話しやすいスタッフにも出会えました。

私はべてるの仕事のほかに、町内の宿泊施設のレストランで食器洗浄の仕事をしていますが、偶然にもそのレストランの料理長が中学時代の同級生で、仕事での再会をきっかけに「何かあったら何でも言えよ」と声をかけてくれ、他のスタッフも感じがよい人ばかりで、職場もとても居心地がよいです。

自分のまわりのいろいろな人に応援をもらえたことで、まだ残っている問題やこれからの生活課題に対しても、何とか前向きに取り組んでいけそうです。

○まとめ

今の時代は、自分のような生活困窮者のことが社会問題になっているようです。やはり、相談できること、何でも話せる人の存在が大切だと思います。

これからの生活の方向性が見えてきて、自立したいという気持ちも強くなりました。

今は、まずできることとして、権利擁護を利用しながらお金をためて、失効してしまった運転免許をもう一度取得し、一般就労をめざしたいと思っています。

そして、仕事をしながら、たまに仲間のいるベてるに顔を出して、みんなの中で息抜きをしてまた仕事に行く、という毎日をイメージしながら、今自分にできることをやっていきたいと思っています。