昔の苦労よみがえり型「誤作動」の研究
早坂 潔
○はじめに
僕は、10代の頃から長年入退院をくり返してきて、今年で五五歳になります。べてるの家の設立当初から、日高昆布の産直に取り組んだりして仲間たちと活動をしてきました。そんな活動をしながら、今まで調子を崩して「ぱぴぷぺぽ状態!」になって入退院を四〇回近くくり返してきました。べてるの仲間では、入院回数のチャンピオンです。入院した分、退院していることになります。
今まで、当事者研究の場で何度か「ぱぴぷぺぽ状態」の研究を発表したこともあって「自分に○をつける」とか「早坂潔はよい奴だ」というおまじないを開発し、やってみたのですが、相変わらず入退院をくり返していました。そこで、今回は、新しい自分の助け方「父さんとの和解」に挑戦をしています。今までと違って、ちょっとよさそうなので報告します。
○苦労のプロフィール
僕の自己病名は、「精神ばらばら状態お金・女性・パチンコに弱いタイプ」です。
僕は北海道で生まれ育ち、三人兄弟の長男として育ちました。小さい頃から普段はやさしい父さんがお酒を飲むと母さんとけんかをしたり、ちゃぶ台をひっくりかえしたり暴れるようなことが毎日のようにあり、子どもながらにビクビクしていました。それでも家族でなんとか暮らしながら小学校に入り、勉強はあまり得意ではなかったので、怖い先生に怒られることもありましたが、友だちは多くできて遊んだり、絵が得意だったので絵の大会で賞をもらったりと楽しい学校生活をおくっていました。小五のときに両親が離婚し、僕は母に引き取られ、べてるの家がある浦河町の隣町、様似町に引越ししてきました。
中学校では、あまり入りたくなかった特殊学級に入ることになり、先輩や先生に怒られたり、殴られたりすることもありました。それでも友だちは多かったので、友達と学校をサボったり、遊んだりしていました。
僕は、兄弟の仲でも一番何かと注意されたりすることが多く、昔は殴られるのはあたりまえのことだったので、母さんやまわりの人に何かと怒られたり、殴られたりすることがよくありました。特に母さんは、父さんと別れた後から、父さんの分も僕のことを心配して怒ることが多くなったんだと思います。母さんもお酒が好きな人だったので、知り合いの男の人と一緒に家でお酒を飲むことも多くなって、まわりから噂をされてつらい思いをしたりもしました。
中三のとき、友だちと一緒に裏山でタバコを吸っていたら先生に見つかり、追いかけられたこともあります。
そんななか、家に帰ると母さんがいなくて急に怖くなり、どこかずっと遠い所から歌や声が聞こえたり、他の人の言葉やテレビで話している話題が,自分のことを言っている気がしました。
ある日、母さんと食事中に、急に眠くなり、足元が変な感じがしたり、押入れから変なにおいがして、身体がふらふらして、神様や自然界の声が聞こえてきました。頭のなかに嵐が来たような感覚になり、母さんと初めて浦河赤十字病院の精神科を受診し、入院しました。中学三年の頃です。
10か月くらい入院して退院しましたが、まわりの人が僕が通ると急に皆いなくなる気がして、何か悪いことをしているような気がしていました。その後、知り合いから紹介されて映画技師になりたいと思い、恵庭市の映画館に就職しました。調子を崩したりしながらも、映画が好きだったので五、六年くらいがんばって働いていました。もっと続けていたかったのですが、あるとき、もっとよい仕事があると紹介されて、逃げるように地元にもどってきました。牧場の仕事に就きましたが、結構ハードな仕事で調子を崩し、また入院生活にもどりました。
入院したときに、ソーシャルワーカーの向谷地さんや精神科の川村先生と出会いました。入院中に浦河教会に通うようになり、退院して教会の隣にあるべてるの家の住居に入り、べてるの家の設立からずっと昆布作業や商品の販売部長として、全国の講演会で浦河の活動を伝えて販売したり、仲間とつくったNPOセルポ浦河の理事長をしています。
○研究の目的
今までも何度か入院してしまう苦労のパターンを皆とまとめて、対処法をいろいろ試していたのですが、どうしてもうまくいかず、いつも入院になってしまいます。特に一昨年は、一年に七回も入退院をくり返し、体も弱ってきたので自分でもどうにかしたいと思い、仲間と一緒に新しい自分の助け方を探すことにしました。
○研究の方法
週に一度行われている当事者研究ミーティングの場で研究したり、ときどきスタッフや仲間と一緒に一日のふり返りミーティングで、自分のことをふり返りながら、研究を進めました。
○研究の内容
①ぱぴぷぺぽ状態について
僕なりに仕事も病気も一生懸命やってきたのですが、無理してがんばりすぎると調子が悪くなるし、隠しごとをするとすぐ調子が崩れてしまいます。今までの研究では、ぱぴぷぺぽになるときには、決まって「女性」、「お金」、「パチンコ」がキーワードになっているとわかりました。
どうしてもお金がうまく使えなかったり、がまんを続けていると誘惑に負けてパチンコに行ってしまいます。また女性と交際しようと思ったり、お見合いの話が出ると、子育てから老後のことまで一気に考えすぎてしまい、ぱぴぷぺぽ状態になって必ず入院していました。
そんな入院のパターンがわかっていたのですが、相変わらず入院は続きました。
②新しい助け方の研究―父さんとの和解
昨年五月に退院してからも、調子を崩してご飯も食べられず、調子を崩して入院しそうなときが何度かありました。僕は調子が悪くなってくると、スタッフや仲間が父さんに見えて怖くなったり、いつも何か怒られるのでは、捕まるのではないかと怯えていました。飾っていた父さんの写真も怖くなって、昔からお世話になっている人に預かってもらいました。研究をするなかで気づいたことが、「昔の苦労のよみがえり誤作動」ではないかということでした。
今までは、自分に「大丈夫、大丈夫」とはげまして乗り切ろうとしてきましたが、不安になると昔きびしかった父の面影がいつも出てきて、どうしても怖くなります。そんなとき、スタッフから「父さんにありがとうと言う練習してみないかい?」と提案されました。
いつも怖かった父の思い出がよみがえってきますが、それでも一緒にキャッチボールをしたり、肩車をしてもらったり楽しかったときも確かにありました。胸に手を当てて、「父さんありがとう」と感謝の言葉を言ってみると、すっと楽になった気がしました。
それからいやなマイナスのお客さんがきたり、不安になったとき、眠る前にはいつも「ありがとう」とおまじないをするように言い聞かせたり、いつも胸に思うことで昔の怖かった感覚が頭に入ってきても、よかった思い出や感謝の気持ちを心に伝える練習をしています。
それ以外にも、まずは「食事・睡眠・薬」を大事にして、生活のことを一つずつこなしていくことで,苦手だった自分の面倒をみられるようになってきました。とにかく毎日べてるに通って、仕事に参加したり、仲間と話すことを大切にしています。
また、昨年からときどき帰る前にふり返りミーティングを始めて、一日のできごとをふり返ることで、正直に自分をふり返ることができて、それもすごく助けになっています。
それでも疲れがたまったり、不安になるときもありますが、どうしようもないとき以外はふり返りやスタッフや仲間に相談することで、楽になってきました。一つの物事を気にしだすと、どうしてもそのことが頭から離れなくなってしまうので、あんまり気にしないことと、早めに相談するようにしています。
○まとめ
退院してから、もうすぐ一年になります。退院してすぐの頃は、自分に自信がなくて人が怖くて仕方がありませんでした。まわりからの声が気になるときもやっぱりありますが、自分をしっかり持つことが大事だなと思います。
この作戦を始めてから前よりも話せるようになってきて、あまり発作が起きなくなってきました。今は脚が痛かったり身体はボロボロですが、なんとか生きています。あまりハードなことはできず、長持ちしない僕ですが,少しずつ楽になってきているなと感じています。
最近は昆布作業のほかに、カフェぶらぶらでウェイターの仕事も始めました。なかなか慣れないことも多いけど、SSTで練習しながらゆるゆる働いていきたいです。そしていつかは、やっぱり信頼してお互いの苦労を話し合えるパートナーがほしいです。
病気は自分一人じゃないので、相談することが大事だと思います。似たような苦労をしている人たちに、僕にはどんな奉仕ができるのか、相談しながらこれからも研究を続けていきたいです。