「自分の働き方と自分の助け方」の研究

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「自分の働き方と自分の助け方」の研究

松本康一

 

○ はじめに

僕は以前に、「八方美人型の苦労の研究」をしました。その研究で、過去の自分の苦労のサイクルが明らかになり、その後、自分の助け方を実践しながら今では浦河町内でアルバイトに挑戦中です。

今回は、「自分の働き方と自分の助け方」についての研究を紹介します。

 

○ 苦労のプロフィール

僕の病名は,「統合失調症緊張系スプリントタイプ」です。

僕は漠然と不安や緊張を感じ、強いときは神経がむきだしになっている感じがします。陸上にたとえると長い距離を「短距離競走」のようにがんばって走ろうとするタイプで、結局は長い時間はもちません。でもがんばろうとしてしまいます。

僕は、北海道新ひだか町(浦河町の隣町)出身で、子どもの頃は人見知りで緊張しやすく、しかし、そのオーラを極力隠していました。友達もいて楽しかったけれど、その頃からなんとなく人と自分は少し違うような感じがしていました。

中学はそれなりに楽しい毎日でした。高校では、最初新しい環境に慣れず、軍隊かと思ったこともありましたが、慣れてきて同級生に教えてもらいギターを始めました。勉強は苦手でしたが、友達に会いに行きたくて毎日休まずに三年間通いました。夜は遅くまでテレビを見て、夜中にギターを弾き、ヘビメタを聴きながら、頭を疲れさせて寝るという生活をしていました。

今ふり返ると、このときはもう神経的にまいった状態が始まっていたのではないかと思います。

卒業後は、資格を取るために工業系の短大に行き就職しましたが、人間関係で距離がうまく取れず、安心して休めなくなり退職しました。

その頃から不眠や無気力が続き、発病しました。ひどい幻覚妄想状態で、自分はテレパシーが使えると思って入院もしましたが、またがんばって地元で働いていました。

でも幻聴や妄想がまた強くなり、幻聴と現実の境がわからなくて仕事が続けられずプレッシャーで休んでしまい、そんな自分を責めていました。

そんなとき、ソーシャルワーカーの紹介で、べてるにつながりました。何をやってもうまくいかないので、自分にとっては最後の砦だと思いました。

その後、「福祉ショップべてる」で請け負っている日赤病院の栄養課の仕事をすることになり、病気と闘いながらがんばって約11年働きました。

しかし、現場責任者になって、もっとがんばらなくてはと働きすぎて、躁状態になってパンクしてしまい、半年休業してデイケアに通いました。

職場復帰後もまた仕事をがんばりすぎて、換気扇の音から芸能人の幻聴が「もっと笑って」と聞こえ、サトラレも始まり、躁状態になり、辞めることになりました。

○ 研究の目的

今までの経験をいかして、町内の宿泊施設の厨房で働きながら、僕が安心して働き続けるための条件づくりを実践的に見極めることです。

そのために「自分の病気と仕事、生活のリズムとの関係」を見極め、長く働き続けるにはどんなことが大事になってくるかを研究しようと思いました。

 

○ 研究の方法

仕事が終わった後に毎回スタッフや仲間と一日のふり返りや報告をして、困ったときは相談しながら通っていました。

また、空いた時間は当事者研究ミーティングやSST(社会生活技能訓練)に参加しながら進めていきました。

 

○ 研究の内容

<自分の病気と仕事、生活のリズムとの関係>

アルバイトを始めて、だんだんと忙しくなって四時間を超えて働く時期があり、心配事も重なり、精神的にきつい時期がありました。

そのとき、自分の働ける容量はこれがいっぱいだと気づき、相談しました。

そこで、「昔の働き方」と「今の働き方」の違いを考えてみました。

 

<昔の働き方と苦労のパターン>

僕は昔から結婚願望が強く、「男なんだから、がんばって働かなければ」という想いがありました。

前回の研究で明らかになったのですが、僕は人間関係であまりNOと言えず、昔の職場では先輩との関係で断ることができず、いきづまってノイローゼ状態になり、辞めました。

新しい職場でも、がんばっているうちに胸元がざわざわして不安が強くなり、〝気持ちの子ども”が自分のなかで暴れるような感覚になります。そのうち、仕事で否定的な言葉や注意を受けると、過去の苦労がよみがえるスイッチが入り、「怒り」、「憎しみ」、「悲しみ」で心のなかがいっぱいになります。そんなときでも、決して人を憎んではいけないと思い、外には出さず一生懸命我慢して働いていました。

その結果、さらに自分の限界を超えて働きすぎてしまい、疲れがたまって結局仕事が続けられなくなるというサイクルをずっとくり返していました。

<今の働き方>

前回の研究後も、苦労のパターンは変わりませんでした。

昨年、ついに躁状態になり、11年続けた仕事を辞めることになりました。

その後、自分の助け方を根本から考え直す必要があると思い、べてるの作業所に通うようになりました。

最初は昆布作業に参加するのにも仲間にサトラレるくらい緊張していましたが、少しずつ仲間と話せるようになって、自分のリズムで仕事ができるようになってきました。

そして、べてるの協力で新しい仕事の話をもらい、町内の宿泊施設でアルバイトをすることになりました。

仕事に挑戦できること、自分一人ではなく、べてるの仲間も一人同じ職場で仕事に挑戦することになり、研究や実践を一緒に経験できていることがよかったと思います。

<安心して働くコツ>

①弱さの情報公開をして、自分に合った時間働く

仕事を始めるときに、「夜の勤務だと神経が張って眠れなくなり、苦労のパターンにはまる可能性が高い」などの「予測される苦労」を仲間やスタッフとあげました。

面接のときもスタッフと一緒に行き、自己紹介のなかで今までの苦労の情報公開をし、自分の働きやすい時間についても正直に話しました。職場の方もとてもやさしい人たちで、勤務時間を朝の時間帯にするよう配慮してくれたり、「困ったときはいつでも相談して」と声をかけてくれたりしました。

最初は事務作業を一時間から始め、少しずつ慣れてきたので、そのうち自分の得意な食器洗浄の仕事を与えられました。朝の七時から一一時くらいまで働くようになり、約一年が経ちます。

②べてるで自分を助ける

仕事の後は必ずべてるにより、報告とふり返りをしたり、SSTや当事者研究にも参加しています。時々昆布作業や、オリエンテーションの一環でもある「音楽チーム」でギターを弾いたりもします。

コミュニケーションを意識して、仕事以外でも仲間とつながることを大事にしています。「アルバイト」・「べてる」・「音楽」の三つをかけもちしているのでスケジュール的には忙しいですが、生活にはりあいが出ています。

③体調・気分のセルフチェックをする

毎朝、僕は車での出勤時に「視界」・「ハンドル操作」・「音楽とボリューム」のチェックをしています。

「視界」と「ハンドル操作」は、車を運転するうえでも大切ですが、体調のチェックにも役立ちます。

「音楽とボリューム」は、気分のチェックになります。好きな音楽を聴きながら運転するのですが、気分が落ちこみ気味のときはしっとりとバラード系の音楽を選んだり、気分をよくしたいときはロック系の音楽を選ぶこともあります。ボリュームは、“14”くらいが適当なのですが、感覚過敏になっているときは“4”くらいでもうるさく感じるし、躁ぎみで感覚が鈍くなっているときは、“20”以上にすることもあります。

この①~③の「働くコツ」を基本に、相談と練習をくり返しました。

そして先日は、前日に相談することで、初めて勤務日にお休みをいただきました。昔だと我慢して働いていたと思いますが、今回は「安心して働く」ために「安心してサボる(休む)」ことを実践できました。職場の方にも最初から「弱さの情報公開」をしていたことで「休む」ことを理解してもらえました。

 

○ 研究のまとめ・感想

当事者研究を通して、昔の働き方と今の働き方のパターンがわかりました。

以前は、苦労を苦労と思えないままがんばり続けてしまい、弱みを見せるとつけこまれるような気がしていました。でも、仲間と話すうちに弱さがあることで人とつながれたり、安心して出していいものだと思えるようになりました。

今はまだ忙しいわりに収入は少ないですが、今やっていることも一つのプロセスでいろいろなことにつながっていると思います。これからも少年の心を持ちながら、今の活動を大切に続けていきたいです。