当事者研究の魅力と可能性の研究

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当事者研究の魅力と可能性の研究

和田智子
西坂自然

 

○はじめに

私たち(和田智子・西坂自然)は、札幌で暮らしている当事者で,「札幌べてるの集い」(以下集い)で活動をしています。集いは、一〇年ほど前に、浦河べてるの家に縁のあるメンバーが有志で始めたネットワークで、札幌や近隣のメンバーたちが集まって当事者研究やSSTを通じてさまざまな交流を続けています。そのなかで、さまざまな形で広がりつつある当事者研究の魅力について、研究をしてみました。

○苦労のプロフィール

和田智子
私の自己病名は、「統合失調症人が怖い嫌われ恐怖症・人の苦労を見ると辛くなる症候群」です。

私は小学校の頃から、なかなか友達がつくれなかったり、さびしいと感じたりすることが多くありましたが、「さびしい」という気持ちに気づかないようにしてきました。それでもがまんしていた「さびしい」という感情が、だんだんとはげしくなり、高校生の頃から友達がほしいと心から願いました。

そのはざまで、勉強していい大学に受かることが一番大切なんだと思い、いろいろ苦しんでいました。その後がんばって大学に入学し、勉強や研究をしていましたが、対人関係で苦労し続け、そのストレスをきっかけに統合失調症を発症しました。その後、縁あって集いにつながりました。

そこで当事者研究と出会い、研究のおもしろさにひかれ、今までの自分のしてきた苦労に,研究者のまなざしをもって深め、対処法を学んだり、弱さで仲間とつながりを持ちたいと願うようになりました。

西坂自然
私の自己病名は、「他人の評価依存型人間アレルギー症候群」です。

私は子どもの頃から家族にしかられないように、常に機嫌をうかがいながら緊張していました。両親に見捨てられないことにこだわり、そのために「自分の感情を殺すこと」に自分の努力を傾けてきました。五歳の頃からせきなどのチック症状が出て、やめようと努力しましたが、一つのチックがおさまると、また次のチックが出るということが一二歳まで続きました。

小学校六年のときに強迫性障害を発症し、文字を書いても頭で「消さなければならない」と理不尽だと思っても消す作業をくり返していました。食べること、物を片づけることなど生活のすべてに強迫症状が出て行動するのにとても時間がかかっていました。一八歳で初めて精神科を受診し、不安で誰かと一緒にいないと落ち着かないという状態が始まり、診察時間が終わっても担当医についてまわり、それができないと外来で暴れたりしていました。そして、実家でも両親に暴力をふるい、言いがかりをつけてはけんかをすることが多くなりました。何度か仕事もしましたが、長続きせずアルバイトを転々としていました。そんななかで、一人になると途方もないさびしさが襲ってきて、本当の自分を見せたらきらわれると思い込んで,自分をいい人に見せようとして努力して,必死に人間関係に適応しようとしていました。

いい人でいることで、それは本当の自分への評価ではないが、まわりからの評価で肯定感を感じることができて、なんとか少し自分を保っていました。

○研究の目的

最近、「当事者研究の研究」が、専門家の間で進められるようになってきました。そこで、私たちもそれに挑戦しました。

○研究の方法

仲間で集まって、自由に当事者研究の魅力を語り合い、キーワードを拾い上げ、まとめてみました。

○研究の内容―当事者研究の魅力

当事者研究の活動が始まってから、今では全国でいろいろな人たちが研究を始めています。まず、当事者研究のどんな所に魅力があるのか、考えてみました。

○病気や苦労に敬意を払う

一見、自分にとってもまわりにとってもいやだなと思う症状(幻聴、幻覚、妄想など)にも幻聴さんや幻視さん、マイナスのお客さん、誤作動さん、病気さんというように「さん」をつけて、一人のキャラクターのように病気に敬意を払っているところがユニークだと思いました。

研究をすることで、つらいと思う症状はすべて自分を助けてくれる大切な経験、大切なものだと思えるのです。

とにかく×と思えるようなことも すべて○になる!!

たとえばリストカットをしたり、薬を大量服薬したり、爆発、拒食、過食、統合失調症、金欠病など自分にとってはだめに思える、情けないと思うようなことも、当事者研究のなかでは今までこの症状で自分を助けてきたので全部ハナマルになります。今までどうしてもうまく生きられなくて絶望的に思える人生も、勇気を出して話してみると,皆から「順調だね」と言われて安心してしまいます。またどんなに病気や苦労で困っていても、「この困り方はいい線いっているね」と言われほめられました。

○見つめるのではなくてながめる

当事者研究の理念のなかに、「見つめるからながめるへ」というものがあります。当事者研究では、自分に起きていることをテーブルに置くようにちょっと離して、仲間と一緒にそのテーマについてながめながら話をしている感覚があります。

たとえばきらわれ恐怖の解明について研究したとき、和田の場合、人が怖いと思うと,人とうまく話せなくなります。そうすると仮面をつけたようにニコニコして、本当の気持ちが言えなくて誰かを傷つけてしまい、人にきらわれたと思うと、ますます怖くなるというサイクルが見えてきました。

○ユニークなアイデア

症状に困っているとき、外来に行ってまじめに病気を治療してもらうのではなくて、一見全然違うところからユニークなアイデアが生まれてきて、対処をしていくところがおもしろいと感じる人が多いです。たとえば幻聴さんがひどくて困っている仲間が、当事者研究をして幻聴さんをせりに出して仲間に売ったら、皆がその幻聴さんを買ってくれて幻聴さんも帰ってくれたエピソードがありました。

深刻になっていると苦しいときも、一見場違いに思えるようなユニークなアイデアで少し病気や苦労とつきあいやすくなる気がします。

○頭より体を使って実験する

自分の頭のなかでいろいろ考えて研究するのではなくて、苦しいときほど体を動かしたり、体を笑わせるようにしたりしています。たとえば苦しくなったら散歩したり、紅茶を入れて飲んでみたり、お風呂に入る、くすぐってみる、バンザイしてみるなどいろいろなことをみんなが試しています。

実験なのでうまくいかなくても順調だし、試し続けているうちに,意外とそれで少し楽になったりしている人がたくさんいました。

○苦労をかかえやすくなる

その他にも研究をすると,今まではなかなか自分の苦労と向き合えなかった私たちが、自分の苦労のテーマと向き合うきっかけになって苦労の主人公になっていきます。今までは、他の苦労や症状でいっぱいだったものが、少しずつ本来の自分や苦労と向き合うスタートにもなると思います。

幻聴さんや被害妄想さんは一人でつきあうのはとても苦しいときも多いのですが、同じ苦労を持つ仲間とわかち合うと、皆でそのテーマで連帯している感覚になり、楽になります。今まで出せなかった自分の弱さが、研究を通して仲間に話してみると,弱さを公開すればするほど仲間とのつながりが増えていきます。

○当事者研究によってどう変わったか? 変えられたか?

当事者研究と出会ってから私たちは、研究を通してたくさんの仲間とつながれるようになりました。仲間と語ることで自分の弱さを認められるようになり、病気の症状は今もありますが、心は健康になってきた気がします。以前よりも謙虚な気持ちになり、病気でもそのままでOKだと思えるようになってきました。そして、悲惨な苦労の話を聞くと、今まではつらくて笑えなかったけど温かく笑えるようになり、だんだん温かい笑いの雰囲気を追求しはじめました。だんだんと、楽に生きられるようになってきたと実感しています。

○まとめ―当事者研究の可能性について

当事者研究には終わりがないので、どんどん研究テーマが見つかり、「中毒性」があってはまっていく人が増加していくのではないかと思います。全国各地で当事者研究をしている仲間が増えていますが、今後もタンポポの飛散のように、いろいろな場所やいろいろな方面から花が開いていく、そしてインフルエンザのように各地で感染者が出る予感がします。

これからの当事者研究がどう発展していくのか、楽しみです。