「昔の苦労のよみがえり現象の研究」

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「昔の苦労のよみがえり現象の研究」

山根耕平

○はじめに

僕は統合失調症で、昔のつらかった記憶が常にいろいろな場面でリアルによみがえるという苦労をかかえ、今までずっとそれに耐えながら暮らしてきました。

縁あって、浦河に来てから一〇年間、いろいろな幻聴や記憶のよみがえりに苦労しながら、みんなに支えてもらってようやく自分の苦労のプロフィールが語れるようになってきたので、今まで研究したことを整理してみました。

 

○苦労のプロフィール

自己病名は、「統合失調症昔の苦労が目の前によみがえるタイプ」です。

僕は幼稚園に入る前から、音も映像も香りも触覚も味覚も全部つながっている感覚があり、絵を見ると音楽が聞こえたり、音楽を聞くと映像が見えたり森の香りがしたり、文字や数字に色がついて見えていました。

これは「共感覚」というのだそうですが、このことを友達に話すと「バカ、アホ、お化け」と言われて友達をなくしてしまったので、以後、共感覚のことは他人には話さずに黙っていました。しかし、この共感覚は便利なもので、数学の微分方程式の解法を色つきで目の前に表示させて答えを導いたり、古文の助動詞の意味を表示させたりできるので、数学や物理などの解法や古文の解釈などには最適でした。

そしてその共感覚のおかげで小・中・高・大学・大学院の成績はいつもトップクラスで、中学三年のときには全国公開テストで全国二位になりました。友達もたくさんいて、小学校から大学院までずっとサッカー部で活躍しました。

大学を卒業して会社に就職しましたが,今思うと、このときから人生の苦労が始まったと思います。

販売している製品の安全性(欠陥隠し)をめぐって、それを問題だと感じてメールマガジンなどをつくっていた自分が、急にグループの仕事を外されて一人で行う仕事を命じられ、隣の席の人との間にダンボール箱で壁をつくられて孤立しました。そして、まわりの人から「ぶっ殺す」「上司の言うことだけ聞いていればいいんだ」と、さまざまな手法で会社ぐるみの脅迫を受け続けて、とうとう会社で倒れて救急車で搬送されました。

それからというもの、何をしていても、何を思い出そうとしても、その頃の情景が何よりも先に鮮明に思い出されて動けなくなってしまい、恐怖で体が凍りつくようになって会社に行けなくなってしまいました。

そんなとき、縁あって浦河べてるの家を紹介され、二〇〇一年に浦河にたどりつきました。

べてるに通い出したばかりの頃は、一〇分前のことを思い出そうとしても、昔の会社で脅迫された記憶がよみがえって頭のなかが占拠され恐怖で固まってしまい、必要なことが思い出せない状態が続いていました。

同じ住居に住む早坂潔さん(べてる代表)や仲間といることで、少しずつ話ができるようになってきましたが、やっぱりつらかったときの記憶が幻覚と幻聴になってよみがえると、そのことばかりにとらわれてしまいました。

時には、麗しい女性の『会社と地球を救って』という声が聞こえて、宇宙船に乗るため、えりも岬に行こうとして入院になったこともありました。

当時は、同じ住居に住む潔さんに
「お前は何かあるとすぐに黙って動けなくなってしまう『言葉の糞詰まり病』だ」とよく言われていました。それでも潔さんや他のメンバーと話して、苦労話を聞くうちに少しずつ心が開けるようになり、仲間には会社での脅迫の記憶を少しずつ語れるようになってきました。

けれどスタッフには信じてもらえないだろうと思い、語ることができないまま会社で脅迫された記憶のほうが強くなると誰も信用できなくなって、薬ものめなくなり、入退院をくり返していました。

 

○研究の目的

今までは記憶がよみがえってくるときは無言で耐えていたのですが、だんだんその感覚が強くなり、まわりの人が会社の人間に重なって見えて攻撃的になってしまい、人間関係がぎくしゃくして日常生活に支障をきたし、何度か入退院を繰り返しました。

なんとか人間関係の回復をめざしたいと思い、一昨年から研究を始めました。

 

○研究の方法

ニューべてるで行われている当事者研究ミーティングに参加して、皆のなかで情報公開をし、気づいたことを自分でノートに書きながら研究をまとめていきました。

 

○研究の内容

「よみがえり現象」への今までの対処

今までの自己流の対処としては、かたっぱしからメモを書き続けて、そのメモを読みかえすことで思い出す回数を減らして、何とか暮らしていました。

会社での苦労を話しても、誰にも信じてもらえないだろうと思い込み、記憶がよみがえったときには一人、恐怖に耐えていました。

しかし、その後、会社の隠蔽事件が大々的に報道され、責任者も逮捕されました。

このときから僕は「自分のやっていたことは正しかったんだ。僕の語っていたことは妄想ではないことがこれで証明された。これからは僕が社会を正さなくていけない」と思うようになりました。そうすると、会社でのつらい記憶がよみがえるたびに、目の前にいる景色や人が会社の組織の人間に見えてしまい、仲間やまわりの人たちをにらみつけ、周囲の人たちを裁こうと、きつい態度を取ってしまいました。

昔の会社でつらかった脅迫の記憶がよみがえってくると、最初は『現在とは違う』と思えるのですが、だんだんその感覚が強くなり、まわりの仲間やスタッフが会社の人間に見えて信用できなくなってしまいます。そうなると「私が戦って正してやろう」と相手をにらみ、攻撃的になって周囲の人との関係が悪くなっていました。

後で後悔をして反省もするのですが、何かを思い出そうとすると昔の会社で脅迫された情景を先に思い出してしまうので、それ以上思い出すことを回避する力が働いて反省も深まらないという悪循環が続いていました。

○新しい対処の模索「薬、SST&当事者研究、仲間、弱さの情報公開」

研究を始めたものの思うようにならない自分とのつきあいに疲れ、服薬もうまくできなくなり、去年の九月に入院をした後、今まで何かを思い出すときに必ずついてまわっていたつらかったときの会社の記憶がぴたっと止まったことに気づきました。

理由はいろいろ考えたのですが、一つは、ついついのみ忘れがちだった薬を注射に変えて効果が安定的に得られるようになったことだと思います。

また、べてるに来てから一〇年間が過ぎ、皆と過ごすなかで当事者研究やSST(社会生活技能訓練)などのミーティングで苦労を解き明かし、話し、練習することで、会社でのつらかった脅迫の記憶を受け止め、さまざまなことをゆっくり思い出して考えることができるようになったのではないかと思っています。

仲間もみんな過去の苦労をすべて忘れることで楽になっているわけではなくて、また薬ですべての症状を抑えてしまって楽になっているわけでもありません。

少しずつ自分に起きていることを言えるようになってきて、聞いてもらっているうちに、今も変わらず過去のつらかった会社で脅迫されたときの情景が見えたり、よみがえったりしますが、『今目の前にいるのはべてるの仲間だ』と思えるようになってきました。

 

○まとめ

去年までは、何かを思い出そうとすると昔の会社で脅迫された記憶がよみがえっていっぱいになってしまい、他のことを考えることがほとんどできませんでした。そんな僕を仲間として受け入れてくれたみんなのおかげで、苦しかった思い出をストップできるようになり、一〇年の時を経て、思い出したりふり返ることができるようになり、心から人と話ができるようになってきました。

今はべてるにつながりながら精神保健福祉士の資格を取るために勉強をしています。

これからも、べてるで人を生かすようなさまざまな応援方法を研究して、人生に生かしていきたいと思っています。